2019年5月31日金曜日

2019 mai 〜買い付けの旅〜


2019
5月
アメリカ買い付けの記録…
記憶…


ヨーロッパ中心の買付の私が
アメリカを訪れたは数年前


大阪時代にお世話になっていたディーラーの先輩に誘われ
広大なマーケットにあるアメリカへ


大きなマーケットがある場所は
緑豊かでとにかく気持ち良い


早朝お昼用のおにぎりやラップロールを用意し
お昼は車でそれらを頬張りながら休憩


近くには小さな湖や小川も流れていて
動物にも遭遇する
心地よい


いつもの常宿は
仲良しのBoop-Poop-A-Doopさんも
偶然同じ宿だった事もあり
とても居心地よく
楽しい時間


お部屋を隣にしてもらって
食料を交換したり
とても良い景色を眺めながら
車でアンティークモールを回ったり


普段は一人でヨーロッパのマーケットを
巡ったりしているので
気の合う仲間と巡れること
本当に楽しい


今回は
そんな愉快な仲間たちと
NYを訪れる事に


緑豊かな街から
大都会へ
ドキドキしながら
はじめての運転も体験


はじめてのNY


はじめての地下鉄


地下鉄に乗って向かったのは
The Met Cloisters


駅からの道のりが気持ち良い


花や緑で気持ち良い丘の先に


The Met Cloisters


フランスから移築されたという
いくつかの修道院からなる美術館


回廊のある中庭があって
気持ち良い


ひとつひとつの
レルーフを見るのも楽しい


アメリカなのに
12~15世紀の中世ヨーロッパ美術を堪能


もちろん
ヴィンテージショップや
アンティークマーケットへも


建物と外に付いている非常階段が
ニューヨークらしい景色


碁盤の目の通りなので
道もわかりやすい


宿の近くには
カーネギーホール


せっかくのNY
何かショーをということで


Cirque du Soleil
シルクドソレイユ

LUZIA
メキシコの歴史や文化、神話にインスパイアされ
《 雨(水)と光 》というエレメントからなる


予想以上に
とてもよかった


美味しいステーキも食べて
ブロードウェイを通って帰路へ


宿から一番近い公園
セントラルパークへも


高層ビルと緑が共存している


大都市でありながら
公園がたくさんあるので
緑も多いニューヨーク


IMAGINE


公園を散歩しながらも
見える高層ビル群
まるで近未来都市…


また訪れたいと思う街だった


この仕入れの旅で出会った
可愛いこ


好みの小さい子にも会えた


古い写真も…


そしてにゃ〜にも♡


帰りの飛行機から
またいつか来ようと誓う


そんな
2019年
5月の記録…
記憶…

2019年5月27日月曜日

2019 mai 〜友との別れ〜


2019
5月の記録…
記憶…


私には
自分の人格形成において
大きな影響を与えた友人が存在する

保育園に入園し
はじめてできたお友達
千に恵みの子
ちえこちゃん

中学へ入学し出会った
建築に携わり裏庭を作るとき
困ったときにいつも助けてくれた友人
理に恵みの子
りえこさん

大学に進学し出会い
それから20年以上の付き合いで
今でも親しい愛する友人2人も
千に恵みの子
ちえこさん

そんなわたしの名前は
恵みの子
けいこという

小さな頃は
自分の親世代に流行ったであろう名前が
嫌な時もあった

でも
今はありがたい名前だと思っている
名前の通り
恵まれることが多いからだ

いつも見習おうと思わせてくれる
尊敬している友人に
同じ漢字が入っていることも
不思議なご縁を感じる

そんな人に出会えたことも
心からありがたく恵まれていると感じる


ちょうど1年前
LINEに入ったメッセージ
大切な友人の意識不明を知らせる
衝撃的なメッセージ

買付の旅へ旅立つ 直前だった
旅に出ることも迷った…
でもきっと
そんなことは望んでいないだろうと思った
きっと帰国を待ってくれるだろうと思った

いつも私が買い付けの旅から帰るのを
楽しみにしていてくれた


彼女は
出会った頃から既に建築家になりたいと
将来に向けて目標をたて
建築を志すために高校も選び
向上心も高く頑張り屋
大学へ進学しいつでも一生懸命
前進していた

一方
わたしは
やりたいことが多すぎて
あれもこれもやりたくて…
結局何が一番なのかわからなくて
とりあえず入れる高校に入り
高校生活といえば
高校サッカーのおっかけのようなことをし
サッカーの試合へ足を運ぶくらい
結局何がやりたいのかわからぬまま
興味のある美術史のある大学へと進んだ…

目的のはっきりした前向きな彼女と
やりたい事がありすぎて足踏みばかりしている自分

いつも笑顔を絶やさない頑張り屋の彼女と
いつも不安で自信がなかった後ろ向きな自分

進む道は違っても
不思議な共通点や
節目節目には必ず会える友


中学の時
水泳部に所属したわたしは
そこで彼女と出会った

聞くと
小さい頃から通っていた
スイミングスクールが同じだった
きっとどこかですれ違っていたはず

14歳の夏
初めて海外を訪れた
町の海外派遣でシアトルに行けるという
親に頼み込んで参加した

初めて訪れた街
シアトル
街も楽しかったけれど
なにより貴重な経験ができたのは
スパイデン 島という
無人島のような
でもログハウスやキャンプ施設が整った
島での体験だった

30年近く前の経験だけれど
今でも思い出す

シーカヤックで出会う
アザラシやラッコ

ホエールウォッチングで遭遇した
オルカの群れ

シュノーケリング
夜になるとキラキラとプランクトンが輝く美しい海

満点の星空

頭上を舞う白頭鷲

森でフクロウが吐いた毛玉を解体
フクロウが何を食べたのか勉強

目をキラキラさせて
一つ一つの体験にドキドキした記憶

たくさんの参加者や現地の人もいたけれど
思い出すのはいつも笑顔で隣にいた彼女

いつかまたあの島を一緒に訪れたい
そういつも話していた

***

2019年5月
買い付けの旅 目的地は
アメリカの東海岸

途中
シアトルの上空を飛んでいた
なんだか一緒に上空を飛んでいるような気持ちだった

その地を踏むことはできないけれど
空の上から
今自分が飛んでいる位置をモニターマップで確認した


ちょうど
上空だろうという場所から
Wi-Fiに接続して
彼女のLINEにメッセージした

きっと読んでくれる気がした

  ***

中学を卒業して
別の高校に進むことになった

ある日
新しい自転車をお互い自慢しあった
私のはサドルが革で
藤の蓋付のバスケットがついてる!
そう自慢すると
彼女も同じだと言う

後日
お互いの自転車を自慢し合うと
同じ自転車だった

高校生になった私は
ずっとコンプレックスだった歯並びの
矯正を決断した

女子校に通っていた私は
群馬のからっ風の中
いつも向かい風と戦いながら
お気に入りの自転車で高校に通っていた

登下校中
時々
地元の同級生を見かけても
凄まじいスピードで通過し
あまり交流を持てなかった…

でも
そんな私が
時々会えるのが
彼女だった

久しぶりに会う
彼女も矯正をしていた
聞けば同じ歯医者だった

また同じタイミングで
知らない間に同じことしてたね
同じところにいたね


大学に入ると
お互い忙しくて
会うことも少なかった
それでも
たまに実家に帰った時に
タイミングが合えば会えていたのが
彼女だった

離れていても
会えば
なんとなく好きなものが似ていて

建築物の話をしたり
絵や美術館の話
島での話
尽きなかった

大学を卒業して
西洋美術史を専攻していた私は
ジャポニズムから日本の伝統工芸に興味をもち
特に着物に魅せられた

和雑貨屋さんでバイトをしながら
着物着付けの学校に通った

休みの日は
益子や伝統工芸の地を巡るのが
楽しみだった

実家に帰った時に
車を出してくれ
一緒に益子へ行き
陶芸をしたのも彼女だった

彼女もまた
着物に興味を持ち
私の紹介で同じ学校に通い
同じ先生から着付けを習った


お互い結婚をして
遠く離れても
たまに
実家に帰った時に
連絡するのは彼女くらいだった

銀座の奥野ビルで
お店を始めようと思った時
彼女がなんとかしてくれるだろうと思った

困った時は
いつも助けてくれた

***

奥野ビルにお店を作ったのは2010年

裏庭を作るときに
大きな力となってくれたのが
保育園からの幼なじみである友人と
困ったときにいつも助けてくれる彼女

 

早速内装をみてくれ
什器を探しに車を出してくれ
必要なものを一緒に揃えてくれた


幼なじみの友もまた
仲間を集め
いとも簡単に天井を剥がし



仲間の大工さんや電気屋さん
左官屋さんやペンキ屋さんを手配し


そんな幼なじみの仲間と
いつも助けてくれる彼女のおかげで


あっという間に裏庭は出来上がった


私がした作業といえば
壁紙を剥がすくらい


試着室が欲しいといえば
図面を書いて
地元の鉄工所の同級生に
特注のカーテンレールを製作してもらい
裏庭まで届けてくれた
頼もしい彼女



裏庭が出来上がるまで
群馬から何度も銀座まで足を運び
作業も手伝ってくれた


自分にとって
裏庭にとっても
大きな存在である彼女


いつも笑顔でやってきて
とても頼もしかった彼女

***

数年後
浅草ライヲン百貨店開催にあたり
一緒に会場を内見し
ビルの図面をひいてくれたのも
彼女だった

毎回開催を楽しみにしてくれていた

製麺業を営む実家のピンチも
いつも助けてくれた
年末の繁忙期には手伝ってくれたこともあった

麺1グランプリに出場する際は
夫婦でお手伝いしてくれた

いつも笑顔でなんでも助けてくれた
いつだって
私が助けてもらうばかりだった

頼もしい友だった

彼女はお菓子作りも上手だった
中学の頃は
彼女が作ってきてくれるお菓子を
いつも楽しみにしていた

そして
いつかカフェを開きたいと言っていた

その日のために
アンティークのお皿やカトラリーを
探していた

私は重たかったり割れたりするのが嫌で
ほとんど食器は扱ってはいないが
彼女のためにいつも蚤の市を回っては
買えそうなものを探していた

やっと彼女の役に立てる事ができるとも思った

カフェを開く時のために
これから少しずつお皿も仕入れたいとも思っていた

***

入院している彼女と最後に話したのは
2019年3月のテレビ電話だった

ほんの数分だった
病院に行くという私に
遠いからと気遣う優しい笑顔

また会えると思っていた

彼女はとても強い人だった
弱音など吐かなかった
いつも笑顔を絶やさなかった

わたしは知らなかった

その頃大きな手術を控えていた事を
知ったのは
彼女の意識がなくなってからだった

彼女の意思で
家族以外は知らなかった

元気になって家に帰って
みんなに会うんだ

彼女らしいと思った

私はそこまで重篤だとは知らずに
入院している彼女に
入院中退屈だと言っていたのを思い出し
実家にある漫画本
何が読みたいか聞いていた
手塚治虫
あだち充
池田理代子
高橋留美子
浦沢直樹など

春の甲子園の時期だから
タッチにする

いつも通りの元気な返事だった

***

買い付けの旅の間
時間があると彼女とやりとりしたLINEを
過去に遡って読んでいた
たわいもない会話の中で

いつも私が助けを求め
彼女は任して!と動いてくれた

最後のメッセージも
私が助けを求めていた

そして彼女は助けてくれた

そのお礼のメッセージをした後に
返ってきた返事は
彼女ではなく
旦那さんからの衝撃的な知らせだった

いつも
してもらってばかりだった

美味しいものがあれば分けてくれ
助けが必要な時は力を貸してくれる
ものも力も笑顔も分け与えてくれる人だった

***

買い付けの旅から帰国した足で
空港から地元行きのバスに乗った

集中治療室で眠る彼女と対面できたのは
彼女が意識不明になってから2週間後だった
会いに来るのが遅くてごめんね
待っててくれてありがとう

手をさすってまた来る事を約束した

数日後
彼女は旅立ってしまった

頑張り屋だった彼女は
最後まで頑張り屋だった

彼女が旅立ったのは
私の誕生日の前日だった
お通夜は誕生日の次の日
告別式は誕生日の二日後

私の誕生日を避けてくれたような旅立ち
絶対に忘れる事はない日


彼女が荼毘に付されるまで
信じられなかった

お見送りをしてから
急に苦しくなった

どうして彼女なんだろう

あんなに頑張り屋で
前向きで
向上心もあり一生懸命で
笑顔が絶えない
思いやりのある人
人に分け与える事が出来る人

こんな時だから
特に感じる

彼女はいつだって一生懸命生きていた
いつだって頑張り屋だった
そして
いつも笑顔だった

私の尊敬する人

ありがとう


開店10年を
一緒にお祝いしたかった

2019年
忘れられない5月の記録
記憶…

2020.5.9 記